渡辺啓助の部屋
本館
拾之巻 神にも屈しなかった鴉のヴィセンテ
九之巻 ノアの方舟の水先案内
八之巻 死の画家が尊敬する相棒
七之巻 ミシュレが見かけた鴉教授
六之巻 倫敦塔に住む六羽の鴉
五之巻 日本にみる鴉信仰
四之巻 ゴッホの傑作「鴉の居る麦畑」
参之巻 黒の内部に秘められた美
弐之巻 アラン・ポーの長詩『大鴉』
壱之巻 誰でも一度は鴉だった
第一別館
拾五之巻 『楢山節考』の鴉の群れ
拾四之巻 名作『月山』の人間鴉
拾参之巻 鴉にだまされた美女
拾弐之巻 黒い妖精を拾った鴉
拾壱之巻 鴉の黒への偏愛

  もう一つ人間鴉の話しがある。
それは森敦の名作『月山』に出てくる鴉のことだ。
私は秋田生まれだから、月山が湯殿山、羽黒山とともに、出羽の三山と呼ばれているぐらいのことは知ってはいたが、森さんの『月山』を読んで月山が月山である所以をしみじみと納得できた。
月山が死の山とも呼ばれ、おそれ山みたいな山かな(恐山にのぼったことがあるので)と漠然と考えていたが、読んでいくうちに、恐山的観念とは全然趣を異にした別の次元に属しているような世界の内懐うちふところに次第に引きこまれてゆくのである。
月山と一口にいっても、いくつかの峰々を内懐に抱えこんだ奥深い山であり、いわゆる単なる登山趣味の人たちが気軽に辿たどりつけるような山肌ではない。行者とか隠者とかの特殊な意識を持たないとうっかり踏みこめない感じだ。
ことに冬期の吹雪をおかして山奥へ潜入できるのは、鴉ぐらいのものだろう。それは「人間鴉」であって、決して行者でも隠者でもなく、俗人の中の俗人に属する類だが、とにかく鴉と呼ばれている。
月山でも、山ふところ奥深く峰を越え、雲を越えて一見無人地帯のように思われながら、やっぱり、小さな集落が幾つかあって、それなりにちゃんと生活しているのだ。平野に住んでいる人たちとはまるで違った生活意識を持たなければやってゆけそうもないが、古くからの土俗的習性が身についていて、自然の脅威にさらされながらも、案外、気楽に暮らしているようである。
そこへ、庄内平野から潜入してくるのが鴉の一隊だ。

その一隊が霧にまかれ、吹雪に煽られながら、凍死しかねない難路をおかして冬になると必ずやってくる。dare_p070

その一隊を鴉と呼ぶのは、空っぽのゴム製水枕を背負って、頭からすっぽり黒マントをかぶる。背中の水枕を隠すために――。集落ごとに、買いあさった密造酒を入れる水枕だから――。
これらの闇の酒買いを、集落むらの人たちは鴉と呼んでいるのだ。
黒マントの鴉たちは、どこそこの何兵衛とか何婆とかが密造酒を仕込む名人たちであるかを、鋭敏なカンでちゃんと当りをつけて山越え谷越えして吹雪の中を潜行してくるのだ。鴉とはよく言ったものである。トンビとかタカとかでは呼称の用をなさない。
「鴉」たちほど、彼らにピッタリした渾名あだなはあるはずがない。ただ黒マントを羽織っているからだけではない。鴉特有のカンの鋭さや、闇買いの取引の要領のよさなどを思うと、どうしても「鴉」としか呼べない。
その鴉が冬ごもりの村々に入ってくると、村一帯がなんとなく色めきわたり、はしゃぎ始めるように見える。
部落では、だれもかれも密造仲間と見ていい。相手がそ知らぬ顔をしていても暗黙のうち結託して、ぴたっと口をふさいでる。何よりも恐れているのは税務署の手入れのあることだ。もし、それが分かった場合、だれが密告さしたか、おおよそ分かってしまうらしい。――これだな、と目をつけられると、いつのまにかその者は行方不明になってしまう。消されたのか、みずから消えたのか、そんなことを詮索するものはひとりもない。
何年かたって、それがミイラになって、藪だたみの中で見つかったとか、そんな噂がつたえられたらしい。村人は何もかも知ってるくせに、みんなトボケているように見える。
鴉地震は密告することは絶対にない。両方とももちつもたれつで、合掌づくりのかや屋根の下で賑やかな酒盛りがあり、酔いどれのてが、手拍子で御詠歌が歌われ、それが崩れて猥歌がじり、情交の気配や目くばせがそれとなく行きかい、夜は濃厚に更けて行く。
朝だちの早い鴉たちは適当に切りあげて雪の十王峠も越えて遠く庄内平野へ消え去ってしまうし、それがしきたりである。
人間鴉のことを想うと遠い遠い月山の奥の奥の、貧しい集落の哀しげな、また楽しげな呼吸音が、わが耳に微かに聞こえてくるような気がする。dare_p072

keisuke022