渡辺啓助の部屋
本館
拾之巻 神にも屈しなかった鴉のヴィセンテ
九之巻 ノアの方舟の水先案内
八之巻 死の画家が尊敬する相棒
七之巻 ミシュレが見かけた鴉教授
六之巻 倫敦塔に住む六羽の鴉
五之巻 日本にみる鴉信仰
四之巻 ゴッホの傑作「鴉の居る麦畑」
参之巻 黒の内部に秘められた美
弐之巻 アラン・ポーの長詩『大鴉』
壱之巻 誰でも一度は鴉だった
第一別館
拾五之巻 『楢山節考』の鴉の群れ
拾四之巻 名作『月山』の人間鴉
拾参之巻 鴉にだまされた美女
拾弐之巻 黒い妖精を拾った鴉
拾壱之巻 鴉の黒への偏愛

  鴉について、三遊亭円窓と顔を合わせる奇妙な機会にめぐまれた。鴉に関する落語を披露するので、ゲストとして出演してほしいとの要請である。
困ったなァ、と私は頭をかかえた。
落語とか講談とか新内とかは学生時代から好きで、よく席亭に通ったものである。そして円窓師匠からゲストとして指名されるちょっと前に、私は鶴賀伊勢太夫に会っている。それも偶然、修善寺のあさば旅館で泊まりあわせた。あさば旅館とは同郷のよしみもあり、且つ、あの辺はかなり鴉もいるので、私はしばしばでかけた。その夜は公演ではなく、私だけのために伊勢太夫が新内をきかせてくれるという好意に私はあえて甘えた。
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あさば旅館は能舞台で著名だが、その橋掛りで演じられた鶴賀伊勢太夫は、まさしく私をしびれさせた。
「明け烏夢のあわゆき」というのだが、鴉とは何の関係もない時次郎と浦里の心中物である。
雨のそぼそぼと降る夜に、江戸末期の庶民的抒情のめんめんと浸み入る語りが私を酔わせるに充分であったし、とりわけ「明け烏夢のあわゆき」のが利いたらしい。
鴉と字がつくと、窓ガラスであろうと、マリア・カラスであろうと、とにかく一応駆けつける。その点、はなはだ純情な鴉クレージーであることを告白せざるを得ない。
さて、それはそれでいいのだが、落語の高座で、ゲストとして出演するとなると、趣がたいへん違う。つまり円窓師匠と対談するには鴉を主題にするのは当然で、それを適当に面白おかしくやれるかどうかはなはだ自信がなかった。
私の出番は中入りの際であって、それが終るといよいよ円窓師匠の「水神」が始まる段どりになっていた。
この「水神」は、故菊田一夫が先代三遊亭円生のために書きおろした鴉を主題とする落語である。場所は、伊勢原市のムジクホール(音楽院)である。
いろいろ考えたあげく私は出たとこ勝負でやるだけと腹を決めて対談に臨んだ。
さすがに、そこは円窓師匠だけあって、場馴れのしない私を適当に誘導してくれて、ああ言えばこう言う式の対話がだんだん盛り上がっていった。私はいささか調子にのって、「人間鴉」という存在に話の筋を引き入れた。
鴉はたしかに恐ろしいが、人間の方がそれ以上に悪賢い――陰語では詐欺のことを鴉といったものだ――そんな風に話をすすめて行き、
「かくいう僕が鴉扱いを受けたことがあるんでね。これには参ったな――。カラスも鴉、結婚詐欺という犯罪カラスをやらかした当人になったというわけで」
これは自分が実際、体験したことなので、話し始めるとだんだん話し上手になり、聴衆も興にのって拍手が場内を圧した。
真犯人がただこちらの名前をかりて結構詐欺を働き、六本木の警察に逮捕された、というのが事実なのである。私自身の名をつかって別人が私になりすまして結婚詐欺を働いたのは、当の本人にとってはまさしく寝耳に水であった。

私はかけだしの、いわゆる「新進作家」であり、『新青年』やその他の雑誌に少しばかり写真入りで紹介された程度でそれほど有名な作家でないところに利用価値があったらしい。そこに鴉の狙いがあったのであろう。その名があまり知れわたっているとかえってやりにくいのが当然だから。
しかも当人は九州の片隅で教員をやっていて、東京在住ではなかったから、結婚詐欺を企むには好条件がそろっていた。相手が文学少女などであったら、案外、手軽に引っかかってしまうだろう。警察から新青年編集部に問合せがあったとき、大笑いして 「そんな派手なこと、あの作家には、間違ったって出来っこありませんよ。立派なアリバイがあります。当人は現に九州で教師をしているんですから」と立証したそうである。
落語の高座のゲストとして私がこの「人間鴉」の話をしたのが一番みんなの気に入ったらしい。

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 dare_p068「正直言って、あの事件を耳にしたとき、ひどく迷惑したって感じはなく、むしろちょっと得意げな、いや、羨ましい気さえしてね」と私はこの対談の終りにつけ加えた。
「当人はその詐欺師の顔も知らなければ、サギられた美少女(おそらく美少女だったろう)の顔も知らない。それがなんとも口惜しい、畜生、うまくやりやがったなァ、とけとばしてやりたいくらいだった。――しかし、それも遠い昔の話です。――昔の話って責任がなくって、いいもんですなァ」
そういうと、聴衆はいっせいに拍手をした。こうして私のゲストの役割も終ったのである。


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