天海の開山した寛永寺は周知のように上野公園にある。動物園も、美術館も近接しているので、時々あのへんを歩いてみるが相変らず鴉が多い。
パンダの類は、テレビで見るだけで沢山で動物園にわざわざ見にゆくほどのこともないと思っているのは、鴉のほうがより魅力的だからであろう。
その鴉には、動物園側では、いたく手を焼いてると聞いた。
パンダの脱毛を係員がひとまとめにして乾しておくと、いつの間にかなくなってしまう。カラスが来て、掠めとってゆくからだ。パンダの脱毛は鴉たちの営巣用には好適な資材である。
水墨画専門の画家から直接聞いたことだが、パンダの毛で作った筆は他の筆にはない面白さがあるとか。
私はカラスの羽根でその軸の部分から鵞ペン式のペンを作ってみた。これも使い方によってなかなか風合のある字や画が描けるが、欠点はニブが裂けやすいことである。しかしそんなことで鴉自体の能力を評価されるべきではないと鴉の抗議を受けるかもしれない。
羽根をむしりとってペン先に使うことなぞ、鴉を愛するもののマナーではない。
黒い羽根そのものをじっと見つめてもらいたいのが鴉の本心だろう。黒の内包するミステリーは人間には(筆者自身を含めて)まだよく分かっていないようだ。
それについて、深大寺の鴉たちのことを思い出さずにはいられない。
三鷹市深大寺の神代植物公園界隈に、鴉軍団のねぐらが多い。公園の入園者が取り散らかした残留物、お弁当の食いのこしやジュース缶が、鴉たちにゆたかな食料を提供しているからだ。
公園に人影の多い時間帯は鴉たちは周辺の雑木林にこもって、鳴りをひそめている。閉園を告げる音楽が流れだすと彼らは活気づく。彼らはそのメロディをすっかり覚えこんでいて聞きのすことはない。公園事務所の係員が自転車で園内を一周して帰り遅れた人影がないかどうかを偵察し終ってからでないと、鴉たちは行動を開始しない。
あらかじめカラスの先遣隊員が要所要所の梢に配置してあるから、係員の方で先手のうちようがない。
警備員が立ち去ると、おびただしい鴉軍団がいっせいに降下して園内の清掃を始めるという手順である。
たとえば、ジュース好きのカラスはベンチに置き放しになっている空缶を点検する。飲み残しがある場合、たくみに缶をころがしながら、穴から流れだす残留分もきれいに飲みほしてしまうという。
公園内に捨猫をするひとが多い。転任とか、引越の都合とか、周辺の家から追いだされた猫たちは鴉と残飯を争うことになるが、もとより500羽以上もいる鴉の敵ではない。捨猫の多くは斃死する。
ただし、不思議なことに黒猫だけは生き残るという。まるまると太った黒猫が鴉の群れとよく食物をわけあっている風景を見かけると公園事務所は報告する。
なぜ黒猫だけが生き残るのか――。鴉の黒への偏愛の秘密は公園事務所に訊いても判明しなかった。
