渡辺啓助の部屋
本館
拾之巻 神にも屈しなかった鴉のヴィセンテ
九之巻 ノアの方舟の水先案内
八之巻 死の画家が尊敬する相棒
七之巻 ミシュレが見かけた鴉教授
六之巻 倫敦塔に住む六羽の鴉
五之巻 日本にみる鴉信仰
四之巻 ゴッホの傑作「鴉の居る麦畑」
参之巻 黒の内部に秘められた美
弐之巻 アラン・ポーの長詩『大鴉』
壱之巻 誰でも一度は鴉だった
第一別館
拾五之巻 『楢山節考』の鴉の群れ
拾四之巻 名作『月山』の人間鴉
拾参之巻 鴉にだまされた美女
拾弐之巻 黒い妖精を拾った鴉
拾壱之巻 鴉の黒への偏愛

  ノアの方舟について、旧約の創世記が示す物語とは解釈が大変違った風変わりな話がある。
それはポルトガルの作家ミゲル・トルガという、日本ではあまり知られていない人物の伝えた話で、なるほど、こういう見方もあるな――と久しぶりに感動した。
彼の短編集の中に「鴉のヴィセンテ」という作品がる。
ノアの方舟に収容された鴉の名は「ヴィセンテ」であり、彼はあまり気乗りしないような、むしろはなはだ不機嫌な面構つらがまえを見せて方舟の闇の中に閉じこめられていた。
書きだしからして、既に創世記にしるされた鴉とは、だいぶ趣の違った鴉になっているのである。
ヴィセンテは不平満々だった。「なんだって、われわれ畜生どもまで、地表から一掃されて全滅しなければならないんだ」
人間の罪悪のため、人間自身が懲罪されるのは仕方がないにしても、他の動物たちまでが人間のそば杖をくって滅ぼされるなんてバカバカしい。人間たちの姦淫の罪まで背負いこむのは、とても我慢ができないと考えヴィセンテはすこぶる憂鬱だった。
颶風と豪雨のひしめき合う闇夜の中で方舟に封じこめられていた畜生たちは言葉を発する気力もなくただ石の団塊かたまりのように、黙りこんでいた。
ヴィセンテはもうこれ以上の屈辱には堪えられなかった。
風雨の荒い息吹(いぶき)がほんのわずか小休止するかのごとく小止みになるときがあった。
その瞬間をつかんで、鴉のヴィセンテは脱出を決行した。
この思いがけないヴィセンテの旅立ちには『大いなるものも、小さきものも、無言の抑制された敬意をこめて立ち会った。かれらは、神が逃亡を防ぐために置いた最初の火の壁を、彼は大胆にも羽ばたいて越え、空のはてに遠く消えるのを見た。だが誰も何も言わなかった。かれの行為は、その瞬間、人類解放の象徴となった。人々を選ばれしものと罰せられるものに分ける専断に対する積極的抗議の声明となったのだ』。
ところが、鴉のヴィセンテが失踪してまもなく、このことを神エホバが知ることになった。
闇につんざく稲妻のように、ノアのもとに髪の叱声が聞こえてきた。
「ノアよ、わがしもべ鴉のヴィセンテをどこに隠しおったのじゃ」
ノアは神の声におそれおののき、ひれ伏した。答えようがないのである。神の前で嘘はつけない。
「ヴィセンテは、どこへ行ったものやら見当もつきません――おそらく、彼は謀反むほんしたのでございましょう――神のみおしえを踏みやぶったのです――彼をおあわれみください――彼は逃亡いたしました」

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 「逃亡したのか。愚かなヴィセンテ――誰ぞ、彼を見かけたものは居ないのか、ノアの方舟ほど安全なところはないはずじゃ、まだそのへんに居るのじゃ、早くヴィセンテを探して連れ戻して来い」
しかし方舟内の一同は依然として無言で、誰も動く気配も見せなかった。
神の光がほんの一瞬、わずかにかげったかに見えた。それは何かの躊躇ためらいのようなものを感じさせた。
『だが神の権威ははじめて反逆に対し、いつまでもそんな風にぐずぐず逡巡していることはできない。困惑の時はわずか一瞬に過ぎなかった。すぐに神の声が雷のようにおどろおどろ広大な天空まで鳴り響いた』
「ノアよ、ノアよ」との神の呼び声に、長老のノアは答えるすべもなく、絶望的にあえぐのみであった。
水先案内の鴉を失った方舟は、しかしこんどは新しい神秘的な力を与えられたかのように、アルメニアの山岳地帯へむかって動きだしていた。
航路は決して安泰あんたいではなかった。潮流は時々変化し増水と減水とがくりかえされ、方舟内の全員は不安と疑惑につつまれたまま漂流を続けた。
突然遠目とおめの利く山猫が奇声を発して行く手に陸地らしい影を見つけたことをノアに告げた。錯覚ではないだろうか――見誤りでないことを祈りつつ、その地点とおぼしき方向へだんだん近よっていくにしたがって、どうやらそれは陸地の一部らしいことがおぼろげながら分かり、その輪郭りんかくを次第に明瞭にしてきたのである。

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  なるほど陸地だ。しかしそれは高原でも沃野でも、砂漠でもない。ただ丘の頂きが巨浪にもまれながら、ひょっこり頭を出しているにすぎない。だがそれで充分だ。それだけでも、陸地とツナガリがあることは確かだからである。
方舟の一同はこれを見つけて、驚き且つ勇気を回復することができた。
そしてさらに驚くべきことには、行方不明だった鴉のヴィセンテが波間(なみま)に見えつ隠れつするその丘の小さな頂上にとりすがっている姿を見つけたことだ。
ヴィセンテは生きていたのだ。その姿は痩せ細ってはいたが『肉体をかたどると同時に意志を表わしてもいる厳しい線が遠目にもはっきり見えてきた』方舟を脱走して姿をくらました鴉のヴィセンテは、やっぱりここに来ていたのだ。
彼は勝ったのだ。ノアの管理下に置かれることをいさぎよしとしない彼は初志を貫いたのだ。ノアにそむくことは神に叛くことだった。
波の高まりはだんだん激しくなってきた。鴉のとりすがっている丘の先端は次第に次第に沈んでゆくかのように見える。ヴィセンテは、はたして生きのびられるだろうか。まさしく神とヴィセンテとの対決である。
方舟のノアと動物たちは、息をのんでこの対決を見まもっていた。
ヴィセンテはひるむことなく、毅然として最後の一点に取りすがり続けた。
方舟の上甲板から見下ろしているノアと動物たちは、すっかり威圧されてしまっていた。「冷静に執拗に全知全能に挑戦して、頭のてっぺんから足の先までずぶ濡れのあの黒い鳥こそ、血であり、いきであり、生気の生気なのだ」と誰もが感動した。
エホバ神、しゅもこの姿を見ると、さすがに譲ろうとするおおらかさ(それこそ神本来のもの)を取り戻した。「その超然たる確固不動の姿勢を前にして」神といえど屈するしかないのだ。「己の作品を救うために天の水門を不精不精お閉じ」になったのである。

以上がだいたいミゲル・トルガの『鴉のヴィセンテ』の物語であるが、鴉のあつかいがいかにもトルガ風で、ある程度の鴉という「存在」の本質に迫っている感じである。
扱うのが鴉であるが故に意味があるのであって、ほかの鳥類では代役は努まらない。
それは何故であろう。
この黒いさっぱり見栄えのしない鳥がかくも堂々と人間生活の内部に喰い込んできているのは、どうにも否定しようのない事実になってしまった。
それはノアの方舟伝説によって窮い窺られる人類絶滅期の世相が、どうやら今日現代のそれとかなり似ていることを思い浮かべるからだろうか。
狂熱的なソフトな時代でも、鴉の存在を無視できない時間帯に入りつつあるようだ。

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