旧約聖書の創世記に出てくるノアの方舟に乗っていた鴉には、いったいどういう役割が与えられたのであろうか。その鴉の任務は、死を見守るのではなくて、死から脱出することであった。
ノアの方舟の水先案内たるあの鴉が居なかったら方舟は死の海から脱出できなかったに違いない。
おそらくノアの方舟の鴉は世界で一番古い鴉であり、水先案内の開祖だったと見るべきでなかろうか。
ノアの洪水なんて、もともと伝説であって、信じたくなければ信じなくても結構であるが、とにかく伝説は何らかの事実を核として発達し生み出されたものであるから、人間史の破片をそこここに、宝石のごとくちりばめたものとして受けとっていいのではないか。
創世記第六章に大洪水のことがしるされてある。世界最初の男女アダムとイヴから始まる人口増加は著しかった。産めよ殖やせよで、地球上を覆ってしまったが、エホバ神は人間を作ったことを、そろそろ後悔しだした(神さまでも後悔するのかなどと余計なことは考えないで)――なにしろ、地上に満ちた人間たちは悪質で手がつけられない、放蕩、姦淫、裏切、殺傷、あらゆる犯罪が日常化してしまっていた。
そこで神エホバ『言たまひけるは我が創造りし人を我地の面より拭去ん、人より獣、昆虫、天空の鳥にいたるまでほろぼさん、其は我之を造りしことを悔ゆればなり。されどノアはエホバの目のまへに恩を得たり』
こうして、ノアとその一族だけは神の恩寵にあずかって、人類一掃の計画からは除外されることになった。その理由は『ノアは義人にして其世の完全きものなりき、ノア、神と偕に歩めり』とみなされたからである。
ノアだけが来るべき大洪水の予告を神から受け、その命令によって避難用の巨大な方舟(はこぶね)を作ることになった。松材(あるいは糸杉だったとも伝えられている)で方形の巨船を、一切神が示された設計にもとづいて作り、船の内外を瀝青(アスファルト)で塗り固めた、導光窓も設け、船内は三階に仕切られ、各階に頑丈な戸がつくられた。
その中にノアとその一族が乗り込みあらゆる生物を雌雄一つがいずつ収容することが許された。そのための食料と水が運びこまれた。
そのときノアは600歳で、2月17日と記されてある。600歳とは驚くべき高齢である。聖書には「レメク182歳に及びて男の子を生み、その名をノアと名づく、レメクはノアを生みし後595年生存へて死なり」と書かれてあり、年齢のことなど、今日の感覚でいちいち気にしていたら旧約聖書などは読めない。
それから、いわゆる40日40夜の集中豪雨が始まるのだ。
「天の窓」が一せいに開いて、天上に蓄積されてあったありったけの水槽が、ぶちまかれたのである。地表上のありとあらゆる生物は、この大洪水によって全滅した。
助かったのは、ノアの方舟の中に封じこまれた生物だけだ。
颶風を伴った豪雨がようやくやんだのはノアの601歳のお正月元旦だった。しかし、水はそのまま50日以上も地表をまんまんと浸していた。水が少しずつ引き始めたのが2月27日という。
洪水が引き始めたものの、徐々に水位が下がってゆくので甚だもどかしい状況だった。全員生きた心地もしなかったのは当然であるが、こういう場合、もっともよく働くのが鴉であると決まっていた。彼は絶えずあかり窓から看視を続け、減水状況についてあれこれと判断し、その判断に即して方舟の周辺を飛びまわった。
第一回目の偵察は徒労に終った。
第二回目には鴉はより広範囲にわたって飛翔をくりかえしたがやっぱりまんまんたる水面を見るだけであった。しかし潮流の状態からみてアララット山(ソ連の国境に接するトルコ東部の高峰5165メートル)あたりじゃないかとの報告が鴉によって伝えられた。
第三回目は燕が偵察に赴いたが、これは新しい期待をもたらすような報告は全く得られなかった。
最後の出番は、やっぱり鴉でなくては、とノアは考え直して鴉に依頼した。
彼はいつもよりかなり長く飛んでいたが、やがて、はるか遠い空のかなたから船上のノアによびかけ、ガアガアガアと頗る威勢のいい啼き声でノアに陸地発見の報告をもたらしたのである。
それっきり鴉は方舟には戻ってこなかった。水先案内人としての鴉の任務はこれで完了したのだ。窮屈で暗い方舟なんか見棄てたのは、鴉として当然のことであった。この鴉によって、干いた陸地を見つけだすことができ、やっと「死」よりの脱出に成功したわけである。
