ナント(フランス西部の都市)で博物学者ジュール・ミシュレは、面白い鴉を見かけたことをいとも懐かしげに思いだしながら書いている。
ミシュレは「ナントの街頭、ある横丁の門口で、毎日一羽の鴉を見ていた」それは半ば囚われの身で翼を短く切られていた。その不自由さを慰めるには、大きな犬どもにいたずらをして気をまぎらすことだった。小犬などは大目に見て相手にしなかった。しかし、この囚われの鴉が見のがさないのは、体格のみごとな逞しい大犬にかぎられていた。そっとやりすごしておいて、あとから気づかれないような巧みさでさっと大犬の背中に飛び乗り、がっしりした黒い嘴で、二度ほどしたたかに突っつくのであった、不意を突かれた猛犬は、きゃんきゃん鳴きながら逃げ去った。すると、「鴉は満足し、静かに重々しく、自分の哨所に戻る。この囚われのすがたが、そんないたずらをしている鳥とは、どうしても考えられなかった」(ミシュレ博物誌「鳥」)
それからもうひとことミシュレは言う。
「諸君はパリ植物園でヒゲワシと鴉との奇妙な対面において、大きな者に対する小さな者、物質に対する精神の優位を見ることが出来るだろう。きわめて器用で、猛禽のもっとも巧者な動物である鴉は黒衣服を着たところも学校教師然としているが、彼の粗暴な同囚たるヒゲワシを文明開化にみちびこうと努力している。彼がどんな風にして、ヒゲワシに遊戯を教え、彼の本職のさまざまな芸当によって、いわばヒューマナイズ(教化)し、その荒っぽい粗野な本性を洗練するかを観察するのは面白い」(ミシュレ博物誌「鳥」第一部)
しかし、この光景を鴉はそう安っぽく見せない。見物人がぱらぱらだと、鴉はやりたがらない。鴉はちゃんと見物人の数をかぞえていて、ある程度の人員数に達してから、やおら芸の仕込みぶりを演出する気になるらしい。
もったいぶるだけあって、ヒゲワシへの仕込みぶりはさすがと感嘆させるものがある。実際鴉は観衆から尊敬さえ要求する自信満々の教師的姿勢を持している。
鴉は自分よりはるかに体格の大きいヒゲワシに対して、「むりに押しつける最も注目すべき遊戯は、自分が片端を持っている棒の他の端をヒゲワシに持たせることである。強さと弱さとの間に行われるこの見せかけの闘争、この仮装された平等は、粗野な田舎者をおとなしくさせるには持ってこいである。田舎者のヒゲワシはこんなことには気乗りがしないが、しかし根気づよくせがまれて譲歩し、しまいには田舎者らしい人のよさもあって、この相談に乗る結果になる(前述書第一部猛禽)
ヒゲワシは最初の一撃で相手を殺してしまいそうな曲がった鉄のくちばし、無敵不敗の鍵爪とで代表され、見るも悲しい凶悪な面構えである。このヒゲワシを前にして鴉は少しも動揺しない。アッケラカンとして、そ知らぬ顔である。粗大なヒゲワシの図体の前で、精神力では、はるかにたちまさっているとの自信が鴉に充ちているからだ。
鴉は気軽に、行ったり、来たり、ぐるりと廻って見せたり、あっという間に相手のくちばしの下にある餌食を取り上げてみたりする。相手は怒りだすが、時すでにおそく彼よりも敏捷で身がるな黒い調教師の手にかかると、ヒゲワシも、されるがままになるしかない。そうなると、鴉はゆっくりと手順を追って芸を仕込みはじめるのだ。
この場合、教師はやっぱり鴉でなければさまにならない。適格者はやっぱり鴉だけだ。ほかに鳥類をもってきては現実性を持たなくなるから不思議である。
そして、教師の服は黒色でなければならない。黒という色はある種のきびしさと威厳とをもっている。ほかのどんな色をもってきても、これだけの調和は出しきれないに違いない。
しかも彼らは、ロンドンのも、ナントのも、パリのも、いずれも囚われの身の鴉たちである。不本意な環境の中に置かれていても彼らは絶望もせず、ノイローゼにもかからずそれなりに周囲と順応する術を心得ていて、上手に遊んでくらしていたようである。おかしいくらい陽気な鴉たちであった。
今日は鴉啼きが悪いから、誰か死ぬかもしれない、などとボヤク可愛らしい人間がまだ世間にはかなり居るらしい。
おそらくその人たちは純情でありながら、まだ鴉の実体をよく知らない素朴な連中であろう。迷信まかせにしないで、他人の眼でなく自分の眼で、はっきりとこのミステリアスな鴉の正体を追及したいものである。
そういう迷信深い人たちだって、区役所や市役所で5時の時報を伝えるとき、「鴉といっしょに帰りましょう」というあのメロディを耳にすると、夕焼けの空をよこぎって、ねぐらに帰る鴉たちを思いうかべて、なにかしら哀愁めいたなつかしさがふっと湧いてくるのを禁じ得ないであろう。
どうして、そんな気持ちをそそられるのであろうか。
では、「死の画家」といわれるユーゴスラビアのティスニカルと、彼の大好きな鴉との係わりあいについて考えてみよう。
