
では、外国ではどうなっているのだろうか。
黒い鳥、鴉についての好き嫌いは、どこの国だってあるに違いないが、常に嫌われているばかりとはかぎらない。
日本に於て鴉はある地域では神聖視されていると同様、英国でも、とりわけロンドンの鴉は、その点で非常に有名である。
日本の熊野や府中の比ではない。ロンドンでは守護神として最高の地位を占めている。
ロンドン塔には六羽の鴉が常駐していて、この六羽がいなくなると英国が滅びるという。この伝説がいつ頃から伝えられたか、その起源は明瞭ではないが、おそらく17世紀チャールズ2世の頃からだろうとする説が有力である。
その伝説にもとづく儀礼が今でも型通り守られている。
夏目漱石がロンドン塔を見物したのは明治33年10月31日と彼の日記にしるされてある。漱石の『倫敦塔』を読むと、彼もまた伝説の鳥を目撃している。
塔上では飛んでくるのや、樹枝の内にとまっているのを数えて三羽までは見えているが、実際には五羽居るとかたわらの見物客が断定しているのを耳にしている。漱石は不吉な鳥としての印象を受けたらしい書き方をしているのも、なりゆき上やむを得ないことだろう。ロンドン塔そのものが血なまぐさい歴史でぎっしり詰まっているからである。したがって死の鳥的印象が強調されるわけである。
当時のロンドン案内記には五羽いるとされている。ところが現実は六羽が常駐している。いつ、どうして一羽よけいいるのか、その増員になった理由を知りたいと思う。
彼らはいわば公務員なのであって、ちゃんと政府からお手当てをもらっている。一羽が病死すると、法令の定めによってすぐ補充されるようになっている。漱石と違って、五羽か六羽になっているのは、一羽は補欠であると考えざるを得ない。
鴉でも公務員である以上、ちゃんと名前がついている。
ジェームズ、マリー、ヘクトラ、グロック、カーラ、ジョージ。
しかし、もうひとつ変わっているのは漱石当時は自由に空を飛びまわっていたのに、現在の鴉は飛ばない。飛べないのだ――主翼の一部が切りとられてしまったからである。守護神扱いしているくせにその羽根を切ってしまう人間の得手勝手さには、人間のほうが鴉族よりも下等かもしれないと思わざるを得ない。
これらのことは私の知人がロンドン環境庁に勤めているので問いあわせてわかったことだが、そのレポートには「鴉たちは今のところ、結構おおらかに楽しげに生活しているからご心配なく。もっと詳しいことを知りたければ六羽のうち一番頭の冴えているウェルズ出身のジェームズ・クロウ君に問いあわせてほしい」と書き添えてあった。
以上のような次第で、鴉については善悪両様のイメージを人間の方で勝手につくりだして、霊鳥にして尊敬したり、魔鳥にして呪ってみたりしているが、鴉の方ではどっちにしろあまりこだわらない。
とにかく、わかっていることは鴉は大昔から人間との雑居生活を好む不思議な鳥だ、ということである。
何をいわれても、あっけらかんとして、おおらかである。楽天家で性格的には「ネアカ」なのである。
どうやら、鴉の方が役者が一枚上ではないか、と人間の私のほうが頭を抱えこんでしまうことも稀ではない。
