日本人は、たいていは鴉をいやらしい不吉な鳥とみているらしいが、それを否定する例も珍しくない。
たとえば八咫烏である。
八咫とは大きなという意味だから八咫烏は大鴉であって、これが日本の古代史によると、神武天皇東征に道案内をつとめた有名な鴉である。神武帝が熊野から大和へ進攻するに当って、非常に険しい路で進退きわまった時に、その道案内役に鴉が神の使として派遣されたという伝説にもとづいている――これは悪鳥どころか非常に位が上って神の使としてあがめられている。現在でもこの古俗がそのまま保存されて今日に及んでいる。紀州熊野権現の鴉がそれである。
毎年正月の7日には、厳粛な神事としてこの鴉を組み合わせた梵字を彫りこんだ木版刷りの行事がある。なかなか美しい出来栄えを見せ、これを午王符といっていかにも霊験があらたかげなお守りであり、一向に人気は衰えていない。なにしろ、悪魔退散、陰陽和合のキキメがあるというのだから、おろそかにはできないわけである――ここでは鴉の悪口を言うことはタブーである。
これに類する土俗信仰は熊野にかぎったことではない。日本のそれぞれの集落においても見られる慣習であって、手近なところでは東京都にも見うけられる。府中市の暗闇祭がそれであろう。
大国魂神社の暗闇祭では熊野とは違って、黒い団扇を配布するところが特色である。まやかしのビニールの団扇ではなく骨太な竹でつくってあり、がっしりしていて全面に大きな黒い鴉を木版で描きだして、なかなか雅味ゆたかで、まさに暗闇祭にふさわしい。
祭神大国魂は大国主命の系譜に属しその神は、くらやみが好きらしく、いわゆる宵祭で一年一回初夏の夜から始まり徹宵神事(つまり神霊降誕の儀)が行われる。一切の燈火が消されて、暗中の手さぐり的行事であることが、いかにも土俗信仰の体臭を感じさせる。
鴉は昼間の鳥であり夜行性ではないが、大国魂の御使であるからには深夜といえど羽ばたかざるを得ないというのもユーモラスである。鴉の団扇の裏側には、六所宮と黒地に黒文字で鮮やかにしるされてある。
六所宮とは何か――六か所の宮を意味し、それぞれに六人の女性が住んでいて、いずれも祭神大国魂命の愛人たちである。ひとつひとつ六所宮を訪ねてまわると、黎明近くになってしまう――暗闇祭とはつまりエロスの祭りでもあるわけで、その神の御使である鴉たちもそれなりに気くばりをしなければならない。鴉の勝手でしょとばかり取りすましていられない次第である。
この頃では暗闇祭は事実上、くらやみでなく、眩いばかりの電灯照明の中でしか行われなくなった。風紀上の問題を無視できなくなったからであろう。
暗闇祭という呼び方は鴉の黒とも関連して、ミステリアスでファンタスチックで土俗的な情感が湛えられていて、捨てがたい気もするのだが……。
