2021年02月25日 四之巻 ゴッホの傑作「鴉の居る麦畑」 それにつけても思い出すのはゴッホの「鴉の居る麦畑」という絵である。 ある画家がその絵を見たときの話をしてくれた。彼がアムステルダム市の市立美術館を訪れたのは20年くらい前になるらしい。そこにはゴッホの作品だけを見せる何室かがあって、その一つの部屋で彼は釘づけになった。館内はわりに閑散で見物客はちらほら見える程度で、ゆっくりと見て廻れたが、ゴッホの「鴉の居る麦畑」の前ではギクッとなった。あの絵ほど強い衝撃を受けたものはこれまでになかった。 ゴッホの最後の、そして最高の傑作であるこの「鴉の居る麦畑」は、誰でも見た瞬間思わずギョッとするような強烈な何かをふくんでいた。ゴッホ自身を思い切り画面に叩きつけたような鋭いタッチ、空と麦畑と鴉とがみごとなバランスをとりながらもエネルギッシュに絡(から)みあってるその構図は、天に向かって何かを激しく告発しているかのように見える。この作品についての解説は沢山あるが、ほとんど誰もが「鴉」のことを「死の鳥」として強調している。 「鴉の居る麦畑」のかかげてあるその部屋には、いたって観覧者は少なく、たった一人だけいた。 それも女性でまだ30代の美しい健康そうな婦人だった。 彼女は椅子にまたがって(というのは椅子が逆に置いてあったから)椅子の背当てに自分の頤をのっけて、じっとその絵を見つめていた。 これは私の友人の目撃談であって、つまりまた聞きであるが、作品を見つめている女のうしろ姿が、そのまま浮かび上がってくるような気がしてならなかった。 友人が市立美術館のほかの部屋部屋を見てまわって、もう一度ゴッホの部屋に戻ってきてみると、やっぱり先刻の婦人は、同じ場所で同じ恰好で飽くこともなく、「鴉の居る麦畑」を見つめつづけていたという。よっぽどこの作品に魅入られたとしか思われない。 彼女はこの名画を前にしていったい何を考えこんでいるんだろう? この絵が描かれたのは1890年、そしてそれから二か月もたたないのに、ゴッホは7月27日自殺をとげている。その日、彼はキャンバスを持たずにオーヴェールの丘にのぼっていった。そこが「鴉の居る麦畑」の現場であった。黄色くうねる麦畑を見つめていたが、しばらくして彼はピストルを取り出して、自分の胸へ撃ちこんだのである。 それ故、黒い鳥の鴉を死の鳥と呼ぶ呪文的発想と安易につながってしまう――実際には鴉と、ゴッホの死とは何の関係もないはずである。 むしろ鴉を描くことによって、オーヴェールの丘の麦畑風景はゴッホの不朽の名作となったのである。鴉はゴッホを死に誘ったのではなく、反対に名作たらしむべく力をゴッホに貸したと見るべきではなかろうか。 この絵を飽くこともなく長時間凝視していたあの婦人の心のうちは知るべくもないが、あの絵の一見苛烈な印象に彼女が立ち去りがたいほど打たれたのは絶望感ではなく、ゴッホの純粋な力強さに魅入られ、恍惚としていたのではないか――そう私の友人は結論したのである。 そう解釈するほうが、ゴッホに対する敬意と愛情のおのずからなる現わし方であると信じていい。 ゴッホの悲劇的な死は、ことさらに魔鳥のせいなどにすべきでなく、もっと厳粛な事実として見るほうが正しい。 ゴッホはむしろ鴉が好きだったのではあるまいか。