カラスは黒いから嫌いだ、というひとが非常に多い。しかし、仙崖禅師の『雪中烏』の画賛に、
しら鷺は有りやなしと見え分かぬ
雪にからすの色はゆるかな
と歌っているくらいで、黒のよさなるものを充分認めているわけだ。
一般人の間にも黒好きがだんだん多くなりつつあることは認められるけれど、黒嫌いは数において圧倒的に多い。
なぜ黒が嫌いなのか?
黒は不吉な色だから、と至極簡単な答えが返ってくる。黒の嫌いな人には単純思考の人が多い。黒は葬式の色だ。腹黒い奴、白黒を争う、ブラック・リスト――すべて悪いことは黒で片づけたがる傾向は、昔からずうっと続いていて今日でもあとを絶たない。しかし、それほど黒って悪い色なのであろうか。
きずがつくほど抓っておくれ、それを惚気のタネにする
きずがつくほど抓ってみたが、色が黒くてわからない
この江戸時代末期から流行だした都々逸の中にも黒がユーモアたっぷり唄われているが、しかし嫌悪感とはいいがたいほの暖かい親近感が底流となっていることは認めずにはいられない。
黒色に対する極めて単純な皮相な見方から黒い鴉を毛嫌いすることになったのであろうが、思うに黒ほど多種多様な美を内蔵する色はないのである。
黒の内部に秘められた美の質量はたいへんなものだ。
たとえば鴉の濡羽色などといって、昔のひとだって、それなりにみとめていたではないか。じっと鴉をみていると、黒はあらゆる色彩の総和であることがおのずからわかる。世の中の多彩なものをすべてひっくるめて黒い色の中に呑みこんでしまって平然と空とぼけているというのが鴉の実態ではなかろうか。
真っ黒でありながら、時には翡翠色に、あるいは虹色に、かと思うと、ちらっと玉虫色を煌めかせたりする瞬間があって、一筋なわでゆかない相手であることは重々心得ておかねばならない。
魔鳥でもあり、凶鳥でもあり、神の御使でもあり、霊鳥でもあり、鴉という平凡な鳥が所に応じてどんな役でも演出できるというのには、まったく度肝をぬかれてしまう。
