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oculus

阿部愼藏筆によるオキュルス界隈

略歴

1935 東京に生れる
1958 慶應義塾大学文学部哲学科卒業
1958~60 パリ留学
1971 彩壷堂主催個展
1973~ サヱグサ画廊主催個展
1981~ ギャラリーオキュルス主催個展
立軌会同人
1983_01

Strawberry Fields 1983

1988_01

森で見た光景 1988

1989_01

夜のメリーゴーラウンド 1989

1990_01

軍鶏 1990

1990_02

聖母堂 1990

1991_01

七人の女 1991

1993_01

チョッキの女 1993

きまりの字数まで

阿部愼藏

 羽の破れた紋白蝶がふらふらと視野をよぎって、タンポポに止るかと見ていると地べたにおり、湿った土に口を触れてじっとしている。晴れた日続きで地面が濡れているのは、さっき私がジョウロで水を撒いた。今年はじめて見る蝶だのに、この窶れようはなんだ。池のヘリに腰をおろし、ちょっとの間ぼんやりしていて視線を戻すと、桜のはなびらが散らばっているだけで蝶はいない。

昼過ぎ家を出る。上野の文化会館で「A・宇田川とD・フンチカーのフルート・デュオ」を聴く前に、動物園で写生をし、5時閉園から7時開演までを、以前使ったモデルが開いた居酒屋でつなぐ。終演後、今が盛りにちがいない花を見がてら、桜並木のだらだら坂を御徒町へくだり、韓国料理でマッカリを飲もう。こういう予定をたてた。

土曜日だからたいへんな人出だ。紙巻タバコに細工してマタタビ粉を詰め持参、虎や豹の檻の前でふかしてやる。風向きのせいで煙が獣の鼻を擽らず、私が噎せる。猛獣がゴロニャンとしどけない図は描けなかった。スマトラトラというのがいる。学生風のが声高に言った。
「略してスマトラでいいと思う」
園丁が肉の塊を配る。馬肉らしい。いずれも見物人を窺い窺い急いで食う。虎が1頭、食うとすぐに戻した。そして気落ちしたようにうずくまり、頭をだんだん垂れてすっかりうなだれてしまった。人いきれに当ったんだろう。

古民具を並べたてて空間が狭い居酒屋である。焙ったハタハタをとる。もともとむっちりしていたのに更に肉がついて、おかみさんは肩で息をしている。20何年むかし、この人がポーズ中にみじろぎしたら「ぷう」と音がして、そのとき一言、
「椅子です」
と釈明してポーズを続けたのが要を得てよかった。擬皮レザー張りの椅子だった。日中のひざしがきつかったから酒のききめがはやい。

フルートを聴いて、いろんなモデルを思い出している。人の顔を覚えなくて困るが、いちど描けば決して忘れませんなどと、自分でうなずきながら言う画家もいて疑わしい。私には記録趣味があり、モデル約百人の備忘録ができてる。
「1987年5月17日、一木江美さん21歳、犬の美容師、8700円」
こんな具合だが、リストを眺めて姿態容貌がよみがえるのは半分か。記憶の淵を浚うと、全体像は掴めずに部分だけ浮びあがる胸や尻がある。瞼の裏で指が動いて、体の線がなぞれるのは、ほんの数人だ。

女流画家R、手遅れの癌で一昨昨年の春に死去、46歳。女の体の美しさ、そのエロチックな面だけを偏執的にくり返し描いた。青い静脈が透く、なよなよの裸体がすべて、本人を見れば一目で知れるRの自画像なのだった。骸骨と抱きあい、虎の背を踏んづけ、全身に刺青の花吹雪を散らし、画面のRはいつもうっとりしている。私とは互いの絵を認めあい、妙に気もあって20年間親しくした。うわべの言動は天真爛漫、我儘放縦でいて、他人の心を傷つけるのを極度におそれた。
「赤い血のようなバラ」を持って見舞いにくるように、Rの夫で精神医学ソシアル・ワーカーのM氏からそういう伝言を受け、入院中の病院へ行ったのは死の2ヶ月前だ。病室の外でしばらく待たされた。腹部に激痛があり、面会直前に麻酔注射を打つ、その効力が10分間と保たないと聞いた。そんな容体でいながら、画室から未完の絵を運ばせ、ベッドで最後の仕上げをしたそうだ。
「待たせたわね。お化粧してたの。窶れたとこ見られて恥ずかしいわ。血の色のバラありがとう。だけどあたしが希望したからじゃなく、あなたが自分で選んでくれたんだったら、もっとうれしかったのに」
「贅沢を言いやがる。でもお綺麗ですよ」
「気休めはいいから。もうダメ…」
Rは照れたみたいに笑ってみせた。

葬式は季節はずれの大雪だった。若いころ、描かせないかともちかけると、さっさと服をぬいで思いきりのいいポーズを作ったRの誇りをおもいはかり、柩を覗く気はなかった。胸をあらわにして微笑む遺影が、故人生前の指定で祭壇に飾られた。降りしきる雪のなかで肌色のカラー写真は異様である。本性に逆らわずに生きると宣言したRが、エロチシズムとナルシシズム、ふたつのイズムの羽交締めにあって?きながら、卑俗な社会通念に必死の抵抗を試みているように感じられた。

四十九日法要と納骨がM氏の故郷、木曽福島で5月のはじめに行われ、東京からRの作品を高く評価した画商A氏と私が参列。信州は巧んだような酣の春、マンサクから梅、連翹、コブシ、木蓮、山吹、スオウ、桃も梅もいっせいの満開だ。あけはなした窓から舞い入るとりどりのはなびらが、讀経を聴く人の喪服を彩った。その夜はA氏と駒ヶ嶽登山口、アルプス山荘に投宿、以下日記抜粋。
「ふっと目ざめる。裸の女が腹這いの背に抱きついている。ひどく怯えてふりほどこうとするが、人のいう金縛りの状態で身うごきできない。辛うじて右腕をうしろへ回すと華奢な湿った手が握ってきた。触感でRと知り、悪意がないことも察した。ほっとすると相手も力をゆるめ、背からおりて、枕許でみだらな姿勢をさまざまして見せてくれた。(續く3行、下書き段階で妻の検閲に掛かり削除する。権力に屈したかたちをとるが、自身こだわっていた個所だからちょうどいいのだ。)楽な楽な心持になる。やがて潮がひくようにRの存在感が私の掌の下で遠のき、今度はほんとうに眼が覚めた。うつ伏せ。右腕にすこし痺れ。明りをつけて時計を見た、2時。」
あくる朝、A氏が言う。
「Rが訪ねてきたんですよ。羨しい」
私は私の側に素因があって見た夢と解釈するたちだが、へんな体験をしたという意識も払拭しきれずにいる。

8時半、演奏会がはねて表へ出ると、ボンボリはもう消した、花見客はさっさと引揚げるようにと交番の拡声器がやかましい。ボンボリがなくたって街の夜は明るい。花が幾層にも重りあって、なんだか綿のたっぷり詰った掻巻みたいだ。開場で合流した妻と、行き交う人のはざまを縫って動いて行く。路面はものすごいゴミ屑だ。花見は仰ぎ見る遊びだから、足もとは汚くても構わないのだ。酔漢がゴミの山をかかえこむようにぶち倒れている。のどがひりつくほど乾いているが、マッカリの最初ののど越しを大切に、カンビールなんか買わない。

『VIKING』442号より
1987年10月


2003_01

画家の記録 2003

僕は裸婦でも桃でも浅間山だって、実物を目で見て描きたい。対象をそのまんま描き写す気はないが、本ものが放つ光の矢のごときものに突き刺されながら描きたい。光の矢を放ってるものしか描きたくない。1990年から13年間、僕はひとりのモデルを描きつづけた。
N・S嬢、淡路島出身、まるで太陽の子のように溌剌として存在感に富む。よいモデルは聡明と運動神経にめぐまれている。胸で微笑み、お尻で歌うことができる。
桃をいちばん綺麗な角度から描きたければ、テーブルの上で桃を転がして位置をきめる。浅間山を描くときは、そのあたりを歩きまわるだろう。僕は静止している裸婦もきらいではないが、動きまわっている、例えば踊っている肉体のある一瞬、つぎの瞬間には消えてしまう、動きのなかの一瞬の姿態にたまらなくひきつけられる。そういうかたまりと線が描きたい。S嬢に向っていう。
「こう、パッと動いてるようなポーズを…」
「こう?」
「もうちょい、キュッとねじれてみて…」
「こう?」
「あっ、はい、それで描きます」
絵描きとモデルの共同作業の「あ・うん」の呼吸がうまくいくのがいちばん有難い。
S嬢は今年でモデルを引退した(コトブキ引退である)。おめでとう、ながいことありがとうという気持をふくむ絵である。画面にいっぴき虫がいる。オオタマオシコガネ、S、CARABE、、、E。虫の名の中に僕の名前がかくれている。僕の商標みたいなものだ。この虫は動物の糞を団子にまるめ、転がして巣穴へはこぶ。

『三田評論』2004年1月号より